雑記

地域



 瀬戸内海地方は、土地と海とが混ざりあっている。
この海域は岡山だ、この島は香川だ、と行政的には確かにあるけれど、行政区分では分けることができない人の交流が作り出す「地域」が存在している。

 今私がプロジェクトで関わっている岡山県の松島のすぐ隣は香川県の櫃石(ひついし)島だが、島民の方にお話を聞いていると島の方々同士で結婚されて親戚がおられたり、近い香川の島の方に働きに行ったりしている。島の方々は、行政的区画の県や市とは違った「地域」範囲を肌感覚持たれている。

 「地域」という言葉はとてもいい具合に曖昧で、ついつい安易に使ってしまいがちだ。更に現在、とても善いものとされている雰囲気がある。「地域の〜」というと、誰も反対し得ない空気感があるので、何かをする場合に妙な説得力を持つ。
それで世の中には「地域社会」、「地域文化」、「地域アート」などなど、「地域」系のものが乱発されていて多くの人が関わっている。
私自身もその中に身を置いていて、「地域プロジェクト出身アーティスト」というカテゴリーがあるとすれば、その中に間違いなく入っている。だから否定はしない。けれど関わる以上「自分の地域」の範囲をもっと明確に把握すべきだと考えている。

 誰しも肌感覚でそれぞれの「地域」を持っている。それが県単位だったり、市だったり、もっと小さな字(あざな)だったり。範囲はそれぞれ広い人、狭い人がいていい。途中で変わってもいい。
とにかく地域活動をする場合、肌感覚でリアルに感じる「自分の地域」を明確に思っていないと、声の大きい人に引きずられてしまう可能性がありそうな時代であります。

地方の風景

 コロナの影響で、仕事の予定もめちゃくちゃになり、
今日はぽっかりと時間ができた帰り道。
ここのところ曇りがちだった空も強い風に吹き曝されて青空が見えている。
こんな時は車を流して適当なところで停車し、歩きながら風景の写真を撮ったりする。

 地方の風景はどこも一緒になった、とよく言われる。 埋立地に大手チェーンが軒を連ねるバイパスに、どこからか来て何処かへ行くトラックの往来etc. 代わり映えしない、と言われれば私もそう思う。

 とはいえ普段見ているものの中にも、見えていないもの、ハッとするものがある、とも思う。
歩きながら何かワクワクするものを感じるのは、きっとそのせいだろう。